第10回:無量寺 ─ 家康公が祈りを託した、がん封じの祈願寺

岡崎観光

家康ゆかりの街 岡崎の神社仏閣巡りと、食のひとやすみ。

愛知県岡崎市。徳川家康公が生まれたこの町には、今もなお家康公にまつわる神社仏閣が点在しています。
このブログでは、そんな岡崎の歴史ある寺社を一つひとつ巡りながら、訪れたあとの“より道”として、和食料理店「魚信(うおのぶ)」もご紹介していきます。

祈りと歴史に触れ、少しだけ立ち止まり、美味しいひとときを味わう。
そんな“心とお腹が整う”旅のおともに、どうぞ。


無量寺 ─ 家康公が願いを込めた、命をつなぐ祈りの寺

岡崎市久後崎町にある無量寺(むりょうじ)は、現在では“がん封じの寺”として全国から参拝者が訪れる有名な祈願寺ですが、
その起源は古く、徳川家康公と深い縁を持つ歴史ある寺院でもあります。

もともとこの無量寺は、家康公の命によって再建されたと伝えられており、
家康公は戦乱の世を生き抜く中で、家臣や民の健康・延命を願い、この寺で幾度も祈りを捧げたとされています。

戦で命を落とす者の無念、家族を想う気持ち──
そうした“命に向き合う願い”が、この寺には込められてきました。
その精神は現代にも受け継がれ、がん封じ・病気平癒の祈祷寺として生まれ変わっているのです。


境内の見どころとご祈祷

◉ 本堂と「がん封じ地蔵尊」

本堂には、祈願を受ける「がん封じ地蔵尊」が祀られ、全国から多くの人々が訪れます。
自身の体の患部に触れながら祈ることで、病を封じるといわれています。

ご祈祷は住職による特別祈祷(事前予約制)で、
多くの方が涙を流しながら“命への想い”を託して帰っていきます。

◉ 家康公ゆかりの仏像と史料

本堂には、家康公が祈願したと伝わる仏像や位牌、古文書が残されており、
ご住職の案内によって歴史の深みに触れることもできます(非公開のこともあるため、見学希望の際は事前確認を)。


無量寺が「がん封じの寺」として生まれ変わった理由

家康公の「命を大切に思う心」に始まった無量寺の信仰。
現代では、それが「がん封じ」という具体的な形を取り、
多くの人の“祈りの場”として再び脚光を浴びています。

がん封じ・病気平癒・健康長寿・手術成功──
不安な気持ちを抱える人にとって、心の支えとなるお寺です。


アクセス・参拝のヒント

  • 名鉄「東岡崎駅」から車で約15分
  • 駐車場あり(無料)
  • ご祈祷は予約制(電話または公式サイト)
  • 周囲は静かな住宅地。参拝時は静かにお過ごしください

魚信で、命への感謝を噛みしめる一食を

深い祈りを終えたあとは、岡崎市街にある和食処・魚信で、
心と体にやさしい「癒しの和食時間」を。


本日のおすすめ「整い御膳」

  • 出来たての本にがり豆腐
  • 鰻釜めし
  • 鱧の天ぷら
  • 冷やし夏野菜の鉢もの
  • 刺身三種盛り
  • 水菓子(季節の果物)

手間を惜しまぬ仕込みと、身体を思いやる食材選び。
一皿ひと皿に、「生きる力」を感じていただけますように。


さいごに:命に向き合う時間と、家康公のまなざし

無量寺に息づくのは、徳川家康公が命に込めた“祈り”そのもの。
その想いは、今もなお多くの人の心を支え続けています。

祈ったあとには、食べることのありがたさを噛みしめて──
岡崎の和食処・魚信で、心の整う一日をどうぞ。

次回は、知る人ぞ知る鎮守の社「稲前神社」へご案内します。

コメント

味の集会場 魚信 女将の西田敬子です。

名古屋短期大学を卒業後、地元の自動車メーカーで海外のお客様の工場案内などを担当していました。その後22歳で退職し、若女将として魚信に嫁ぎました。仕事をしながら一姫三太郎を育てる日々の中で、100名以上の年上スタッフや若いアルバイトと接するうち、コミュニケーションやモチベーションの難しさを感じ、様々な勉強会に参加してきました。

特に脳科学やメンタリングを学ぶことで、スタッフやお客様との関わりがぐっと深まりました。

今、大切にしているのは『感謝』の気持ちです。日々の小さなことにもありがたさを感じ、毎日が奇跡の連続だと実感しています。皆様のおかげで、心から感謝の日々を送っています。

uonobuをフォローする
タイトルとURLをコピーしました