第15回:真清田神社 ─ 尾張一宮に祈る、家康公と武運の社

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家康ゆかりの街 岡崎の神社仏閣巡りと、食のひとやすみ。

愛知県岡崎市。徳川家康公が生まれたこの町には、今もなお家康公にまつわる神社仏閣が点在しています。
このブログでは、そんな岡崎の歴史ある寺社を一つひとつ巡りながら、訪れたあとの“より道”として、和食料理店「魚信(うおのぶ)」もご紹介していきます。

今回から岡崎を少し離れますが、家康公ゆかりの旅はまだまだ広がります──。
祈りと歴史に触れ、少しだけ立ち止まり、美味しいひとときを味わう。
そんな“心とお腹が整う”旅のおともに、どうぞ。


真清田神社 ─ 尾張一之宮に祈る、家康公も崇敬した武運の神

尾張国一宮として知られる真清田神社(ますみだじんじゃ)は、
現在の一宮市に鎮座する格式高い古社。創建はなんと
第10代崇神天皇の時代(紀元前)とされる、愛知県随一の歴史を誇る神社です。

主祭神は、天照大神の曾孫にあたる天火明命(あめのほあかりのみこと)
太陽神の系譜を継ぐ神として、農耕・開拓・産業・武運に広くご利益があります。


家康公と真清田神社──戦国の交錯の中で

徳川家康公と真清田神社の関係は、直接的な史料は少ないものの、
尾張を本拠とした織田信長との政治的・軍事的な結びつきを考えると、家康公にとっても尾張の信仰・地縁は重要なものであったことがうかがえます。

特に家康公は、江戸幕府を開いた後、全国の一宮や格式社を庇護し、社領や社殿の修復を進めた政策を行っており、
真清田神社もその一つとして、徳川家からの庇護を受け続けました。

また、尾張徳川家の祖となる徳川義直(家康の九男)がこの地を支配したことから、
以後、真清田神社は「徳川一門の加護神」として崇敬を集めていくことになります。


境内の見どころ

◉ 雄大な楼門と本殿

石畳を進むと現れる朱塗りの楼門と、堂々たる拝殿。本殿の背後にそびえる大木も見事です。
訪れる人々の心を整える、清らかな空気が流れます。

◉ 神池と花手水

境内には清らかな神池と、季節の花が浮かぶ花手水があり、写真映えも抜群です。

◉ 婚礼や七五三の名所としても人気

地元では「お宮参り」や「安産祈願」の神社としても厚く信仰され、
“始まりの祈り”の場として親しまれています。


アクセス・参拝のヒント

  • 名鉄「一宮駅」より徒歩約8分
  • 境内に無料駐車場あり(混雑時は近隣コインP)
  • 春〜秋の祭礼シーズンは屋台や賑わいも
  • 七五三や初詣は早めの参拝がおすすめ

岡崎からちょっと遠出──その帰りは魚信でひとやすみ

真清田神社を訪ねた帰り道、岡崎へ戻るなら、
ぜひ**和食処・魚信(うおのぶ)**で旅の締めくくりを。

社の清らかさと、魚信の豆腐と釜飯の優しさは、
きっと心と体にすっと馴染むはずです。


おすすめ「祈りの和膳」

  • 本にがり豆腐
  • 季節の野菜冷鉢
  • 鰻釜めし
  • 刺身三種
  • 水菓子

厳かに祈り、和やかに食す──
そんな時間を魚信でお過ごしください。


さいごに:国を治めた将軍が敬った“太陽の神”

真清田神社は、尾張の歴史を見守ってきた大きな柱。
家康公が天下を見据える中で、信仰の対象として敬い、
その後の徳川の世でも変わらぬ力を持ち続けました。

岡崎の歴史を歩む中で、少しだけ足を伸ばしてでも訪れる価値のある一社です。

コメント

味の集会場 魚信 女将の西田敬子です。

名古屋短期大学を卒業後、地元の自動車メーカーで海外のお客様の工場案内などを担当していました。その後22歳で退職し、若女将として魚信に嫁ぎました。仕事をしながら一姫三太郎を育てる日々の中で、100名以上の年上スタッフや若いアルバイトと接するうち、コミュニケーションやモチベーションの難しさを感じ、様々な勉強会に参加してきました。

特に脳科学やメンタリングを学ぶことで、スタッフやお客様との関わりがぐっと深まりました。

今、大切にしているのは『感謝』の気持ちです。日々の小さなことにもありがたさを感じ、毎日が奇跡の連続だと実感しています。皆様のおかげで、心から感謝の日々を送っています。

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